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脱走癖のある愛犬の話

 私は夫と結婚してすぐに夫の家族と同居を始めました。
 同じ時期にダックスフンドの男の子も夫の家へ新しい家族として仲間入りしました。
 彼はその時もうすでに子犬ではなく、6歳の成犬でした。

 私は小さなころから犬が好きで実際に飼っていた経験もあり、その新しい家族とはすぐに仲良くなりました。
 しかし、彼は前の飼い主のことが忘れられなくて度々脱走してしまいます。

 彼の最初の飼い主は、義父の弟でした。
 諸事情によりそれまで住んでいた一戸建て住宅から賃貸アパートに引っ越さなくてはならなくなりました。
 しかし、ペットO.Kではなかったため、泣く泣く義父に託したのでした。

 スムースヘアのダックスフンド。
 黒光りする艷やかな身体の、特に胸の筋肉は厚く、自分の体格の二倍もある柵を易々と乗り越えていきます。

 室内飼いで、留守番はペットサークルの中でさせていました。
 しかし、簡単に柵を越えられてしまいました。
 横を囲むだけでは駄目だと感じた義父と私は、上からも何かを被せてみようと考えました。

 最初は飛び出し防止ネットを取り付けるという優しいものでしたが、次々に突破されていくので最終的には一センチくらいの厚みのあるべニア板の天井が出来上がりました。
 それでも彼は脱走を繰り返します。頭突きをして板をずらすのです。

 彼の脱走癖は自宅の中だけに留まってはいませんでした。
 散歩の途中で逃げ出すこともありました。
 そのたびに優しい方に保護されて無事に帰ってこれたのは、本当に運の良いことだったと思います。

 そんな日々を送っていたある日、散歩の途中で前の飼い主の娘さんと遭遇しました。
 小さなころから彼と一緒に暮らしてきた娘さんから、散歩をしたいとの申し出がありました。
 私が娘さんにリードを手渡すと、彼はこちらを振り向くことなく尻尾をぴんと上げて行ってしまいました。
 
 幼いころから姉弟のように暮らしてきたであろう二人が、この散歩でどのような時間を過ごしたのかはわかりません。
 帰宅した彼は何事もなかったかのように家の中に入りました。 
 そして、その時から彼の脱走は無くなりました。

 年を取ったせいもありました。
 しかし、私は思います。
 脱走をするたびに連れ戻されるのはこの家。
 そして、大好きなお姉ちゃんに連れてこられたのもこの家。
 この家が僕の家なんだ、と気が付いたのではないかと。

 最終的にはあれほど忘れられなかった前の家で過ごした時間より、後に私たちと暮らした時間の方が長くなりましたが、でもやはり子どものころを過ごした家というのは犬にとっても特別なんだろうなと思います。